助け合うって何なのか

今日の夕方は強い雨が降った。


『日本に帰ったらお金を少し送ってよ。そうだな、5万円くらい。日本人にしたら少ない金額でも、こっちの国にしたら大金になるからさ。日本では5万くらいすぐに稼げるんだろ?』

「いやいや、お金は送れないよ。いくら友だちだったとしても、あまりお金の貸し借りはしたくないから。」

『貸してくれとは言ってないよ。お金をちょうだいって言ってるんだよ。お金をくれることによって、僕を助けてくれたらいいのさ。』

「それは良くないよ。お金はあげられない。」

『じゃ、例えば僕がもし病気になって、その時僕にお金が無かったとしても君は僕を助けてくれないのかい?そしたら、僕は死んでしまうよ。それでもかい?』

「・・・。」

『どんな状況になっても、君はお金をくれないのか?お金がダメなのなら、君は僕に何なら送ってくれるんだ?コンピュータかい?僕たちは友だちだろ?』

「友だちだったら、何かを送らないといけないの?お金とか高いものとか。そんなの変じゃない?わたしは仲の良い友だちにそんなことしない。」

『だって、僕はブルキナファソ人で貧しくて、君は日本人でお金を持っているじゃないか!?僕がもし余るお金を持っていたとしたら、僕は迷わず君にお金をあげるよ。助けあうべきだからさ。助け合うことは当然だよ。それとも何かい?君が僕たちを助けるのはこの二年間だけで、その後は他人になるのかい?』

「それは違うよ!でも、お金や物を与える関係が良い友情だとは、わたしは思えない。“助け合う”ってそういうことなの?」

『それなら、君は日本に帰ったら僕たちに何をしてくれるんだい?』

「手紙を書くよ。メールもする。電話だってできるかもしれないよ。」

『ふー。(溜息)』



今日はつい、感情的になってしまった。
でも、適当に「困ったらいつでも頼ってくれていいよ、もちろん!」なんて言うことはどうしてもできなかった。
この国では、助け合って生きることが当たり前だと言われているけれど、それってどういうことなんだろう。
“助け合って生きる”って、一体どういうことなんだろう。




雨はもう、すっかり上がって静かな夜だ。
明日はどんな天気だろう。